山口地方裁判所 昭和29年(ワ)205号 判決 1959年4月20日
原告 毎日興行株式会社
右代表者 白井祥雄
右代理人弁護士 小河虎彦
右同 原田好郎
被告 防長交通株式会社
右代表者 井上隆一
右代理人弁護士 辻富太郎
右同 小野実
主文
一、被告は原告に対し別紙第一目録記載の建物を収去して別紙第二目録記載の土地の内別紙図面中赤線を以て囲む七百七十五坪を明渡し、かつ、金六十四万四千五百円及び昭和三十一年三月一日から右土地明渡済に至るまで一箇月金七万七千五百円の割合による金員を支払え。
二、原告その余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は被告の負担とする。
四、この判決は原告勝訴の部分に限り担保として金百万円を供するときは仮に執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
原告が常設興業場及び附属店舗の所有、経営及び賃貸興業場附属売店の経営等を目的とする資本金一億円の営利会社であること、被告がバスを以てする旅客の運送を目的とする資本金五千百六十五万円の営利会社であること、別紙第二目録記載の土地の内別紙図面中赤線を以て囲む七百七十五坪(本件土地)及び同図赤斜線部分の八坪六合二勺は元訴外周陽興業株式会社の所有であつたが、右八坪六合二勺の土地は昭和二十二年道路敷地として防府市に買取られ、昭和二十七年三月三十一日原告会社が訴外会社を吸収し、本件土地が原告の所有となつたこと及び被告が本件土地に別紙第一目録記載の車庫、修理工場、倉庫、事務所等の建物を順次新築又は移転し専らバスの収容保管に使用していることは当事者間に争がなく、成立に争がなく被告の利益に援用する甲第一号証、成立に争のない乙第一号証の一ないし五と証人伊藤敬三、同礎村卯市、同石田麻戸、同有住一夫の各証言によると訴外周陽興業株式会社、被告会社及び訴外徳山土地興業株式会社は昭和十三年頃から同十七年頃までの間は重役が共通していわゆる姉妹会社といわれる間柄であり、周陽興業株式会社が訴外徳山土地興業株式会社から本件土地を買受け、被告会社に車庫用地として使用せしめることとなつていたところ、昭和十七年八月一日書面(甲第一号証)を以てその使用関係を明瞭ならしめ、周陽興業株式会社が被告会社に本件土地及び別紙図面中赤斜線部分の八坪六合二勺を、期間は同日から十年間、期間満了後二ヶ月以内に双方から何等の申出がないときは期間を更に一年間更新する、但し貸主において必要の際は何時でも借主は原形に復して右土地を明渡す、賃料は月金百円、被告会社が本件土地上に如何なる工作をなすも異議はない、借主が賃料を支払わないときは貸主が三ヶ月の猶予期間を以て解約告知できる旨の特約附で賃貸したことを認めることができ、右契約の性質は賃貸借契約であると解するのが相当である。
原告は賃料月百円というのは名目だけのもので、増額請求したこともないから本質は使用貸借契約であるというが、右のとおり月金百円は賃料と認められるし、又昭和十七年当時の社会においては月金百円の賃料が特に低廉であるとは考えられないし、今日においてこれが不当に安い賃料であるとしても、それは原告が自認する如く原告の増額請求権不行使の結果であるから、これを以て右契約の性質が使用貸借であると解することはできない。
被告は昭和十七年八月一日に成立した賃貸借契約中賃貸期間が十年である点、貸主において必要の際は何時でも借主は原形に復して本件土地を明渡す旨の部分はいずれも例文として書面に掲げたにすぎぬから効力がない旨争うので考えてみると、成立に争がなく被告の利益に援用する甲第一号証と証人伊藤敬三、同有住一夫の各証言によると前記契約は周陽興業株式会社の当時の取締役福田義人と被告会社(当時の商号は防長自動車株式会社であつた)の当時の取締役伊藤敬三がそれぞれ会社を代表して合意の上締結したものであつて、甲第一号証の記載自体からこれが不動文字によつて大部分印刷された既成の契約書を利用したものではなく、特に甲第一号証の記載によれば第二条但書の「但し甲に於て必要の際は何時にても乙に於て原形に復し明渡すものとす」との文言はこの部分のみ墨書され欄外に参拾弐字挿入と記載された上、前記両名の印が押捺されていることを認めることができ、反証はない。そうだとすれば、右はいずれも被告主張の如く例文を掲げたものと解することはできない。
ところで、更に被告は右賃貸借契約は借地法の適用を受ける借地契約であるから、該契約条項中貸与期間十年の点及び貸主において必要の際は何時でも借主は原形に復して本件土地を明渡す旨の部分はいずれも借地法第十一条に違反し無効であると主張し、原告は賃貸借契約だとするも建物の所有を目的とするものでなく営業用バスの保管を目的とする契約に過ぎぬから借地法の適用はないと抗争するので判断するに、借地法第一条にいう「建物の所有を目的とする賃借権」とは借地人の土地使用の主たる目的がその地上に建物を築造し、かつ、これを所有する点にある賃借権をいうのであつて、その地上全体に建物が存在しなくとも大部分に建物が存在して他の部分も建物との関連において使用されておれば足り、ここにいう建物は工作物(民法第二百六十五条参照)よりも範囲が狭く、土地に定着する建設物で周壁屋蓋を有し、住居、営業、貯蔵などの目的に使用されるもので、独立性のあるものを広く含み独立した不動産として登記されるものでなければならないと解せられるところ、本件土地の面積が全部で七百七十五坪であり、現在建築されている車庫、修理工場、倉庫、事務所の面積がそれぞれ別紙第一目録記載のとおりであり、昭和二十年四月中に保存登記せられた建物であることは当事者間に争がなく、成立に争がなく被告の利益に援用する甲第一号証、成立に争のない乙第一号証の証人伊藤敬三、同有住一夫、同石田麻戸の各証言、検証並びに鑑定人田中元夫の鑑定の各結果を綜合すれば、被告は昭和十五年十月三十日訴外徳山土地興業株式会社から事務所及び車庫建築用地として本件土地を使用する承諾を得た上、更に昭和十七年八月一日前記賃貸借契約の内容として訴外周陽興業株式会社から本件土地上に如何なる工作をなすも異議ない旨の承諾を得ており、最初車庫の建築にとりかかつたが落成前、風、竜巻、台風等のため倒壊したのでようやく昭和十八年の初めに完成し、その後営業事務所を移築したこと、事務所は営業事務所として使用される四囲の周壁、屋蓋を有するが、車庫は営業用バスの保管のために使用される屋蓋と三方の周壁を有する建物であること、修理工場は右バスの修理場として使用される屋蓋と三方の周壁を有する建物であること、倉庫は物の保管に使用される屋蓋と四囲の周壁を有する建物であること、これら建物はいずれも本件土地上に定着しているものであること、これら建物全部の昭和十七、八年当時の建築費は約一万一千円、昭和三十年十月七日(鑑定時)の建築費は五百二万五千八百円であることが認められる。そうだとすれば、本件賃貸借契約は被告の営業用バスの保管に必然的に必要なこれら建物の所有を目的とする賃貸借契約であるから、借地法の適用を受ける借地契約であつて、同法第十一条により本件契約中同法第二条、第四条ないし第八条及び第十条に違反する契約条件であつて借地権者に不利なものはこれを定めなかつたものと看做されるから、本件契約においては借地期間を十年間とする点、貸主において必要の際は何時にても借主において原形に復し明渡すものとする旨の特約はいずれもその定めがなかつたものと解するのが相当である。そうなると前示の建物は同法第二条にいう堅固の建物ではなくその他の建物(非堅固建物)と認められるから同条により非堅固建物の所有を目的とする本件借地契約の存続期は三十年、即ち昭和四十七年八月一日までとなるものと解せられる。
原告は本件契約が借地契約であるとするも一時使用の賃貸借であり、借地法第九条が適用されるべきであるというが、本件全証拠に徴するもこれを肯認するに足る証拠はなく、却つて成立に争がなく被告の利益に援用する甲第一号証によると、契約締結当初当事者双方はその効力はともかく十年間というかなりの年数を予想しており、貸主においても被告が本件土地上に如何なる工作をなすも異議ない旨約していることが認められるから、右主張は採用し難い。
ところで、成立に争のない甲第三号証の一、二、同第六号証の一、二、同第十三号証の一、二、証人渡辺勇次の証言により真正に成立したものと認める甲第六号証の三、四、五、同第八号証の一、二、同第九号証の一、二、同第十号証の三、同第十二号証の一、二、証人原田好郎の証言により真正に成立したものと認める甲第七号証、同第十号証の一、二、四、同第十一号証(但し、以上のうち甲第七号証、同第八号証の一、同第九号証の一、同第十号証の四、同第十一号証、同第十二号証の一のうち郵便官署作成部分の成立については当事者間に争がない)に証人渡辺勇次、同白井信太郎、同原田好郎、同伊藤敬三、同財満友蔵の各証言(伊藤、財満両証人の証言中後記認定に反する部分は前掲各証拠に照し措信し難い)と原告代表者本人三好又郎尋問の結果を綜合すれば、昭和二十五年七月二十一日当時訴外周陽興業株式会社が所有し経営していた防府市戎町所在の劇場恵美須座が全焼したのでその再建の必要に迫られていたところ同所はもともと借地であつた上その一部が防府市の都市計画により収用され敷地も狭くなり同所に劇場を再建することが事実上不可能となつたので、昭和二十六年一月十七日訴外会社は被告に対し本件土地の明渡を求めるに至つたが、被告はこれを拒否したこと、その後、更に原告は被告に対し昭和二十七年九月十七日本件土地の明渡を求めたが、これも同年十月八日拒否されたけれども、引続き明渡を求めて交渉を重ねているうち、昭和二十八年三月四日徳山市所在の松政旅館において原告側からは代表取締役三好又郎、取締役兼総務部長渡辺勇次、被告側からは代表取締役伊藤敬三、取締役支配人財満友蔵が出席して会合がもたれ、原告側から本件土地の明渡を求めたのに対し、被告側はこれを承諾したこと、しかし、明渡の時期については一致するに至らなかつたので、双方からそれぞれ渡辺勇次と財満友蔵をしてこの点について交渉にあたらせることとしたこと、その後、渡辺、財満両名は数回交渉を重ねた末、原被告間において同年五月六日(1)被告は昭和三十一年二月末日限り本件土地を明渡す、(2)その間の使用料は昭和二十七年八月分から一箇月一万五千円とし、昭和二十八年二月分までは即時払、その余は六ヶ月分宛前払とする、(3)右条件で即決和解調書を作成する旨の明渡についての合意(和解契約)が成立したこと及び昭和二十八年八月頃原告の代理人弁護士原田好郎、被告の代理人弁護士弘中武一が裁判所に出頭して右(3)の約旨の履行として即決和解の申立をなす段になつて、両弁護士の意見が合致せず、和解調書の作成だけが未だになされないままになつていることを認めることができる。右合意は単なる従来の借地契約の存続、延長の性質をもつものではなく、一旦原被告間において従来の借地契約を合意により消滅せしめた上、別個に明渡までの使用関係及び明渡の時期を定めたものと解するのが相当である。
被告はこのような合意(契約)は被告に不利益な契約条件であるから、借地法第十一条により無効であると主張するが、従来存続している借地契約においてその当事者間において一定の期限を設定し、その到来によりその土地を明渡す旨の期限付明渡の合意をすることは、他にこれを不当とする事情の認められない限り許されないものでなく、従つて右明渡期限を設定したからとて直ちに借地法にいう借地人の不利益な条件を設定したものということはできない。そもそもこのような期限付明渡の合意は借地人にとつて借地関係の終了前における借地権の放棄の性質をもつものであり、一般に権利の放棄は許されるものであり、放棄行為自体に瑕疵のない限りその効力も発生するものであるから(特に借地法所定のものよりも借地人にとつて利益に定められているから、最初から借地法所定の期間より短い期間を限つて借地契約を締結する場合と異り一旦借地契約が成立し借主が借地権を得て借地法上の利益を享受できる地位に立つた後において、その権利を放棄することはもとより差支えない)、借地権の存続期間中における期限付明渡の合意は借地法第十一条にいう借地権者に不利な契約条件に該当するものではないと解せられるところ、右瑕疵の点については何らの主張、立証もなく、又本件全証拠を精査するも本件において被告が本件土地を明渡すことを不当とする事情も認められない。
そうだとすれば、被告は原告に対し前記明渡の期限である昭和三十一年二月末日の到来により、本件土地の明渡義務を負うに至つたものといわねばならない。尚前記明渡の合意は直接本件建物の収去の点についてはふれていないが、土地明渡は他に特段の事情の認められない限り、借主がその土地を原状に復して土地に附属せしめた物(建物を含む)を収去して行う義務を負うものであると解せられるところ、本件において右特段の事情については何らの主張、立証もないから、被告において本件建物を収去すべきものであるといわねばならない。而して、鑑定人田中元夫の鑑定の結果によれば昭和三十年十一月十二日(鑑定時)の本件土地の適正な賃貸料は一坪当り一箇月金百円、本件土地七百七十五坪全体では一箇月金七万七千五百円であることが認められるから、被告は原告に対し昭和二十七年八月二日から昭和三一年二月末日まで前記合意に基く一箇月金一万五千円の割合による使用料、計算上の合計金六十四万四千五百円と昭和三十一年三月一日から右明渡済に至るまで一箇月金七万七千五百円の適正賃料相当額の損害金を支払うべき義務がある。
原告は仮りに、前記明渡の合意(和解契約)が昭和十七年八月一日に成立した従来の契約の延長であるとすれば、被告がその約旨の履行である即決和解の申立に応ぜず、かつ、増額せられた一箇月金一万五千円の地代を支払わないから、昭和二十九年八月十七日を以て右延長せられた契約を解除する旨主張するが、右明渡の合意は単なる従来の契約の存続延長の性質をもつものでないと解せられることは既に説示した通りであるから、原告の右主張は前提を欠き失当であるといわねばならない。
されば、その余の判断を俟つまでもなく、原告の本訴請求は右の限度において正当であるから、この範囲内においてこれを認容すべく、その余を失当として棄却し、仮執行の宣言につき民事訴訟法第百九十六条、訴訟費用の負担につき、同法第八十九条、第九十二条を適用して、主文の通り判決する。
(裁判長裁判官 永見真人 裁判官 黒川四海 丸尾武良)